あなたは“グリエルミンピエトロ”というサッカー選手をご存知だろうか。
知らなくても無理はない。さして有名な選手ではなかったし、もちろんサッカーファンならば当然知っているレベルの選手ではあったが、一般の人が知っているかというと、まず知らないだろう。
私もサッカーファンの端くれであるから、もちろん彼の事は知っているがそれよりもなによりも……ああ、言いたい。“グリエルミンピエトロ”って言いたい。言いたいのである。いや、言いたいでしょ?グリエルミンピエトロ。
このように思わず言いたくなる名前、というものがある。いくつか例を挙げると、
トルコリーグの強豪「フェネルバフチェ」。かわいい。
同じくトルコリーグの名門「ガラタサライ」。強そうだ。
オランダ代表FW「ヘネホール・オフ・ヘッセリンク」長い。
そして朝青龍の本名「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」。もうなんと形容してよいかすらわからない。以上あげたもの全て、言いたくなる。すごい言いたくなる。
なぜ私は言いたくなるのだろうか、考えた。
そして気付いた、やはりこれら言いたくなる言葉には共通項がある。
まず大前提として日常的に聞き慣れない響きを持つ。
それは10〜15文字程度のカタカナが最も効果的である。
そして重要なのは「響きから喚起されるイメージ」が豊富かどうか、おもしろいかどうか、なのではないか。
以下にイメージの例を物語として著した。
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私は全てに疲れ北欧はスイスを旅していた。アルプスの大自然に触れ広大な山々を見ていると、いかに自分がちっぽけな存在であるかに気付かされる。空は高く澄み渡り
、川はさらさらと緩やかなカーブを描き、小鳥達は美しい音色で生命の素晴らしさを歌にしている。私はとある小さな村を訪れた。そこにはホテルというものがなく、ただ一件だけ小さな民宿のようなものがあった。私は今晩、そこに泊まることにした。
そこを訪ねると、いかにも宮崎駿アニメに出てくるような、恰幅のいい女性が出てきた。歳の頃なら50前後といったところだろう。彼女のつけているエプロンやら三角巾やらが、あまりにも“それ”っぽくて私は思わず笑いそうになってしまった。
「今晩、泊めて貰えますか?」
「まあまあ、こんなところまでよく来たね。さあおあがりなさい。」
そう言うと彼女は戸棚から記帳を出して何やら書き記している。
「一晩で90フランになるけど、いいかい?」
「ええ、もちろん」
「本当はお金なんかとりたくないんだけどねえ」
「ははは、こんなに良いところに90フランで泊まれるなら安いもんだ」
「あんた、うちの息子に似ているね。笑ったところなんかそっくりさ」
と言って、彼女は少し寂しげな表情を見せた。或いはそれは私の気のせいだったのかも知れない。私は彼女のことを、親しみを込めてママと呼ぶ事にした。
「すぐご飯にしましょうか」
「ええ、ありがとう」
暖炉の赤が横顔を照らす。暖かみのある仄かな明るさの中でトマトベースの良い香りが漂ってくる。ぐつぐつことこと、という音も実に心地が良い。思わず腹が鳴る。
「やあ、いい香りだ。お腹の虫も待ち遠しいと言っていますよ。」
「もうすぐ出来ますからね。」
そう言うとママはおそらく仕上げであろう粉チーズを振りかけ、鍋ごとテーブルの上にでん、と置いたのだった。鍋からは絶え間なく湯気が立ち昇っている。その湯気のおかげで中身はまだ完全には見えない。私はまるで漫画の登場人物のようにペロリと舌なめずりをした。
「さあさあ、出来ましたよ。これが我が家自慢の“グリエルミン・ピエトロ”ですよ」
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そう考えるとうすた京介が説いた「めそ」の凄さに気付く。たった二文字で聞き慣れなく、脱力感が漂い思わず言いたくなる。すごい。
今酔っぱらっているし面倒になってきたのでこの辺りで筆を置く。
